凸凹(でこぼこ)な毎日。

あせくせ働く。

社会人のためのNHK高校講座からはじめる「データの見方」

最近「データの見方」が重要視されています。

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ビックデータやオープンデータがよくキーワードに挙がっていますし、新聞による社会調査の不十分さを指摘する著書が出版されていたりもします、なんだか「データを扱えないとダメだ、でも、適当にやってしまうと大失敗してしまう」そういうものではないでしょうか。

とはいえ、1日勉強したからといって何とかなるようなものでもなさそうです。

ネットで

といった有料、無料のもの様々なものがあって「はて、どれがいいだろう」と思うのではないかと思いました。

NHK高校講座がおススメ

統計知識ゼロでも勉強ができるものは多いですが、例えば、数学が苦手といった、基礎的な部分も不安と感じている人も多いのではないでしょうか。

そういったときに便利なものが「NHK高校講座」です。
早速内容をみてみましょう。

  • 「度数分布表と代表値」
  • 「散らばりぐあいを表す値」
  • 「分散と標準偏差
  • 「相関関係」

をそれぞれ15分くらいの短い動画で学習できます。
上記の各講座に比べると基礎的なことであることは確かですが、苦手と感じている方にはよいきっかけだろうと思います。

ポイントとしては、

  • 学習時間が短い。(15分×4回の約1時間で学習することができる。)
  • わかりやすく丁寧な説明。

この2点に限ります。通勤などちょっとした時間に学習できるところもいいのではないでしょうか。

自己学習には「解答のある問題」がいい。

続いて、自己学習で重要になるのが「解答のある設問」です。

わかりやすい説明は確かにわかりやすいのですが、改めて思い出そうとしても「わかりやすかった」ことは覚えていても、何を話していたかは覚えていないことがあります。

そこで高校生向けの参考書がとても勉強がやりやすい。

佐々木隆宏の 数学I「データの分析」が面白いほどわかる本

佐々木隆宏の 数学I「データの分析」が面白いほどわかる本

 

例えば、この参考書はわかりやすく説明しているだけでなく、例題やセンター試験対策、記述試験対策用の問題があり、解説も丁寧なのでおススメです。ちなみに、高校数学の範囲に「データの分析」が加わったのは最近の話です。

なかなか動画を見ただけ、本を読んだだけ、では理解できたかどうか不安ですし、一番怖いのが「理解した気になっている」状態です。そのため、自分が確かに理解できているかどうか、確かめなければなりません。

学習後の最後の力試しにセンター試験問題を解いてみてはいかがでしょうか。

電子図書にかかる莫大な費用を軽減するには。

図書館の話です。

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http://www.jla.or.jp/Portals/0/data/iinkai/%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/2013_p29.pdf(『日本の図書館 統計と名簿』抜粋)

グラフをみてみると、11年間、公共図書館*1の数は年々増加しています。しかし、資料費は年々減っている。

その背景について、文科省は、

地方公共団体については,地方分権の推進に伴い,市町村合併三位一体の改革地方交付税の改革,国庫補助金・負担金の見直し,国から地方への税源移譲)が進められている。国などの関与の減少や自主財源の確立などにより,独自の政策立案・遂行能力が求められるが,現実には,長期化する財政難により,従来の施策が廃止・縮小されることも多い。

社会の変化と図書館の現状:文部科学省

と挙げています。さらに、松本直樹さんの『公立図書館経費の経時分析』にわかりやすいまとめがあります。

・図書館費に占める設置自治体の支出割合は一貫して高い。

・地方債に依存する傾向が強まっている。

図書館界で頻繁に議論されてきた補助金に関しては、平均して図書館費の2%程度と非常に少額である。

・他の社会教育関連施設と比較すると経費全体に占める補助率は低い。*2

 『公立図書館経費の経時分析』

とあるように、図書館費は設置自治体の支出が中心であり、特に地方債に依存している傾向が強いことから、地方自治体は自分たちで財源を確保していきたいので、図書館に関わる費用を下げたい、というのがあるといえます。

例えば、

といった工夫はそういったことを踏まえたことだといえます。

図書館費の中心は「資料費」

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http://www.library.metro.tokyo.jp/Portals/0/about%20us/pdf/25P1karaP35.pdf の「決算」(p.11)よりグラフを作成してます。

グラフは東京都立図書館の平成25年度の決算の内訳ですが、最も多くかかっているのが「資料収集・整理」つまり資料費なわけです。確かに、多くの利用者は図書資料を読むためだとか、借りるためだとか、といったものではないかと思います。少なくとも、図書館と聞いて、図書が「ない」ところをイメージする人は少ないのではないかと思います。

電子図書は費用がかかる!

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千代田Web図書館といったところが電子図書の貸出を行っていますが、おそらく、今後、タブレット端末がより普及していくだろうことを考えると電子図書はもっと利用されていくのではないかと思います。日本の多くの図書館は中小規模の図書館なので、電子図書が利用できれば物理的なスペースを省くことができるといったメリットもありそうです。

しかし、そうもいかないようです。

(7)価格メリットのなさ紙書籍よりも割高な費用のため、紙書籍のみで蔵書構成する場合よりも提供冊数は減少する。購入費のほかに、継続的なサーバ維持費が必要な場合があり、低迷する資料費がさらに圧迫される

CA1773 - 動向レビュー:日本の公共図書館の電子書籍サービス-日米比較を通した検証- / 森山光良 | カレントアウェアネス・ポータル

とあるように、資料費がさらに増してしまうことになります。青空文庫のように、無料で読めるところもありますが、著作権が消滅したもの、その許可を得たものに限られるので、そうでないものは当然、費用がかかってしまいます。

資料費のために、企業に場所を貸して場所代を利用する。

すでに図書館のなかに、カフェやレストランが併設されているところはあります。例えば、プロントがオープンしたところで、千代田区立日比谷図書文化館があります。

カフェは本屋と併設されることも珍しくなくなったので、図書館でも違和感がないですが、こういった企業に対して図書館が場所を提供していくとよいのではないかと思います。

ひとつの例として、

 といったこともよいのではないでしょうか。

まとめます。

  • 図書館の資料費は年々減っている。
  • 今後、多く利用されるだろう電子図書の費用は高い。
  • 企業に場所を貸して、もっと場所代を活用していく。

*1:主に都道府県や市町村立の図書館で、公立図書館だが、民間でも公共性を確保しているものがある。大学図書館などは含まれない。

*2:東京大学大学院教育学研究科紀要 第47巻 2007 p.372

秋田美人は終わった!?美人の生まれやすい都市と「ベッドタウン美人」

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「秋田美人」ってよく聞きます。

wikipedia を覗いてみると、

秋田美人(あきたびじん)とは、秋田県出身の美女を指す。京美人博多美人と並び、「日本三大美人」といわれる。

秋田美人 - Wikipedia

 だそうです。

「本当にそうなのかな?」っていう邪な考えをもったので、いっそのこと調べてみようというのが今回の目的です。

過去にはこんな記事もあるようです。

これらの記事では、秋田や東京、京都、福岡、沖縄といったところがランキングでは上位を占めていたようです。

しかし「美人が多そうな県はどこだ?」ってだけで、けっこう漠然とした話なので、はっきりとしたことはわかりません。

とりあえず「美人=女優」で考えてみた。

そもそも「美人」でなんだよ!って思うわけですが、ひとつの基準として「女優」を例に考えてみたいと思います。いつの時代にも女優はいるわけで、しかも映画やドラマといったところで活躍する人は、TVCMや雑誌にもよく出演、掲載され、その時代の美人ではないか。そう決めました。

次に、都道府県別の出身地ごとに女優の数を調べていくわけですが、今回は「1980~1989年」の間に生まれた女優を数えます。新垣結衣さんだとか、石原さとみさんだとか、堀北真希さんだとか、現在よく活躍されている方々がいるだろうと思われるので、この期間を選びました。

ちなみに、女優の一覧は、wikipedia日本の女優一覧1980年代生まれ - Wikipedia*1を参照しました。(2014/03/17 最終閲覧)

最後に、1980年~1989年の10年間の各都道府県の出生数を調べて「女優の数/出生数×100」でパーセンテージを出すことにしました。それで、各都道府県別に、女優の生まれやすい県がわかると思います。

まとめますと、

都道府県別、美人の生まれやすい県を調べるために、

  • 「美人=女優」と考える。
  • 「1980年~1989年」の10年間で生まれた女優を対象にする。
  • 女優の数/出生数×100」でパーセンテージを出す

1位「東京」、2位「沖縄」、3位「奈良」

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【Color Map】女優誕生率が高い県(青でない県は0です)

 結果はどうなったかといいますと、

  1. 東京:0.0027%
  2. 沖縄:0.0025%
  3. 奈良:0.0020%

でした。*2

東京では、27万人に1人が女優になる計算になるので、とても難しい世界だとわかりますね。ただ全国的にみれば、0.002%台はかなり高いといってよく、半分以上が0.001%未満でした。ここには、秋田美人、京美人、博多美人は上位ランキングには入っていません。

  • 秋田:17位,0.0007%
  • 京都:6位,0.0017%
  • 福岡:15位,0.0008%

ちなみに、女優が生まれた人数が多い都道府県は、

  1. 東京:35人
  2. 神奈川:12人
  3. 大阪:7人

で、都市部が多いことがわかります。しかし、当然ですが出生数が多いのも都市部です。出生数は、

  1. 東京:1261020人
  2. 神奈川:872562人
  3. 愛知県:803594人

となっています。

3位が奈良なのは「ベットタウン美人」だ!

東京や沖縄がランクインすることは納得できるような気がします。上記のリンクでも、東京、沖縄は上位にきていました。

今回の意外なところは、3位の「奈良」ではないでしょうか。

今回の調べによると奈良県生まれの女優は3人。尾野真千子さん、吹石一恵さん、松下奈緒さん、という誰もが知っているだろう女優ばかりです。3人輩出している県はその他に愛知がありますが、ここは上記でも挙げたように、出生数が多くランキングには入りませんでした。

もう一度、日本地図を見てもらうとわかりやすいですが、都市部周辺の色が濃いことがわかります。

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東京を除いた都市では、出生数が多く女優を多く輩出していてもランキングには入りにくかったのですが、都市周辺では出生数も少なくかつ女優も輩出しているので、女優誕生率の高さを示しています。つまり都市周辺では美人が高確率で生まれる!奈良が、3位にランクインをしたのは、大阪のベッドタウンとも言われる「奈良」ならではの条件があったのではないかと思いました。とりあえず、そうした都市周辺の美人のことを「ベッドタウン美人」と呼ぼうと思います。

まとめます。

  • 都市部とそのベッドタウンでは美人が生まれやすい。

*1:漏れも多いかと思います。もし、掲載がなかったとしても、当然、故意に外しているわけではありません。

*2:小数第六位切り捨て

公立高校入試国語、よく出る著者は誰?説明文編

今年も「入試」が近づいてきました。

縁あって、中、高校生の受験に携わることがあり様々な問題集、参考書をみてきたのですが、そのなかで次のような問題集をみつけました。 

著者に注目!  現代文問題集

著者に注目! 現代文問題集

 

※以下のグラフとこの本とは関係がありません。

大学入試に頻出する著者を過去のデータから導き出し、その傾向をあばくおもしろい問題集だと思うのですが、ここで書かれているようなことを公立高校入試でもできないかなと思ったわけです。

さいわい、次のようなサイトをみつけたので、

ここの説明文の出典著者を参考に傾向をみてみました。*1

最頻出は「茂木健一郎」さん

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 2007年から2012年までの公立高校入試、国語の説明文で最も出典されているのは「茂木健一郎」さんでした。ここで挙げられているベスト5の方々は、実は大学入試でも頻出です。

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しかし経年変化をみてみると、長谷川櫂さんは2010年のみということがわかります。

トップの茂木健一郎さんも2010年には出典数0となっていましたが、ここ数年コンスタンスに出典されているようです。

【まとめ①】

公立高校入試・国語 よくでる著者は

これからよく出るか?出典増加中の注目著者

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 2012年に一気に出典されたのは「森博嗣」さん、「岸田一隆」さんでした。その他、増加傾向にある可能性がある著者を挙げました。

このグラフの鷲谷いづみさん、森本哲郎さん、森博嗣さん、田中真知さん、岸田一隆さん、は大学入試では少ないので、公立高校入試特有の傾向があるのかもしれません。

しかし一時的な流行があるのか、その年だけ多く出典されることもあるので注意が必要です。

この他、まだまとまっていませんが、公立高校入試では、出典作品は、出版年が2,3年以内の新書といったものが多いように感じています。

【まとめ②】

公立高校入試・国語 これからよく出るかもしれない著者は

以上、今回は簡単な集計結果のみとなりますが、何かの参考になればいいなと思います。

*1:2007年から2012年までの6年間における、公立高校入試、国語の説明文(随筆、小説、古典を除いたもの)の著者を対象にしています。上記のサイトで出典が明記されてない年については数にいれていません。

「希望」を抱いて死ぬ―恋愛における「片思い」の極端な結末―

自分のアカウントのkujira88のツイートでつぶやいた内容について、もう少し詳しく考えてみたいと思いました。

「希望」をもって死ぬこともあるのか

自殺の文学史

自殺の文学史

 

 『自殺の文学史』「日本の読者へ」のなかで、作者が日本に留学した際、通っていた大学で飛び降り自殺が起きます。自殺した女性は失恋が原因だったそうですが、遺書の中で生まれ変わったら必ず意中の人と相思相愛になれると信じて希望と期待を胸に自殺をしたとあったのです。

もう少し『自殺の文学史』を読んでみましょう。

恋愛は、ひとが自殺する理由の中でもっとも些細であると同時に、もっとも私的なものである。

確かに、恋愛、特に失恋についてはかなり苦しく、死にたいと思うことも決して不思議ではないですね。もうひとつ引用してみましょう。

恋愛の二つの変種ー絶対的に不幸な片思いの恋と、相思相愛のあまり恋人同士の融合が生を越え死の領域に及ぶほどの、分かち合われ、絶対的に幸福な恋愛と―は、ともに自殺への可能性を含んでいる。

ここでは絶対的な不幸である「片思い」から自殺するケースと、絶対的な幸福である恋愛から自殺するケースと二つあることがわかります。そこで、ここでは想像しやすい「片思い」について考えていきたいと思います。

「片思い」で至る自殺までの2つの経緯

「片思い」は絶対に成就しないという意味で、欲望が満たされない不幸に満ちています。この不幸を呪って死ぬことも十分な理由ですが「片思い」のケースにはこれだけではないというのが冒頭で紹介した18歳の女性が証明しているように思います。

なので「片思い」から自殺に至る経緯には2つあるだろうと思います。

  • 今に絶望して死ぬ
  • 今に絶望して、来世を信じて死ぬ

報われない「純情極まる恋愛」が絶望を生む

ただここまで絶望するにはよほどのことがなければいけないでしょう。私が思うに、それは作家の直木三十五が述べている「思春期的恋愛」ではないかと思います。

例えばゲエテの「エルテルの悩み」なぞはこれに属する恋愛であろう。現実の場合あのように純粋に長くは続かないだろうが、少くとも普通には二十歳位までの、盲目な、熱烈な、それでいて性欲的よりも感情的な、純情極まる恋愛である。ツルゲネフの「初恋」なぞもそうである。既に異性を知って了った男女には、もうこんな感情は再び見られないものである。(直木三十五 大衆文芸作法

直木は「既に異性を知って了った男女には、もうこんな感情は再び見られない」といっていますが、これは単に年齢に限ったものではないように思います。

『自殺の文学史』のなかで紹介されているイタリアの詩人、チェーザレ・パヴェーゼは人生で最も幸せなときに失恋をして自殺をしました。40歳を過ぎ、才能も認められた詩人であっても、失恋は死への十分すぎる理由であって「純情極まる恋愛」は複数の恋愛や肉体的関係を経たのちでも持ち得るような性質のものではないかと思うのです。

とはいえ、ここで重要なことは「盲目的な、熱烈な、それでいて性欲的よりも感情的な、純情極まる恋愛」であるということです。これは時間をすべて相手に渡してしまうような見返りを求めないような性質のもので、自分を全て捧げる分、それが報われない場合、すべての自分を否定してしまうような結果を招きます。

ショーペンハウエルは、

深刻な精神的苦悩は肉体的苦悩に対して我々を無感覚にする、―我々は肉体的苦悩を軽蔑するのである。否、もしかして肉体的苦悩が優位をしめるようなことでもあるとしたら、それこそは我々にとっては一種心地好い気保養なのであり、精神的苦悩の一種の休止である。ほかならぬこういう事情が自殺を容易なものにしている。(『自殺について』)

と述べており、こういうものが「絶望」ではないかと思います。

通常であれば人間関係が更新される度に次第に相手を忘れ、次の相手を見つけるわけですが、そう至らないところに「絶望」があります。次の相手はいないわけで、完全に自分を喪失し、その補充ができない場合、死へ至るのだろうと思います。これが、

  • 今に絶望して死ぬ

です。しかしそれだけが死の理由ではない場合もあるようです。

来世を信じて死ぬ

現世に「苦」を感じ、来世を信じる話はよくあります。

小林秀雄の『無常という事』のなかで『一言芳談抄』を引用しています。

なま女房が、

生死無常の有様を思うに、此世のことはとてもかくも候。なう後世を助け給へと申すなり(『モオツァルト・無常という事』)

吉本隆明はこの『一言芳談抄』について

要するに「この世より浄土のほうがいい。だから死のう」という思想を述べている。*1(『日本近代文学の名作』)

と言っています。これは宗教的な話ではありますが、この世で生きることが「苦」であるから浄土へ向かうという考えは昔からあり日本的ではあります。当然「片思い」は「苦」です。この「苦」から解放されることを望むわけですが「片思い」においては意中の人と一緒になることが浄土でありましょう。

だから来世において一緒になることを望むわけです。ここには「絶望」とは違う積極的な「希望」を見出すことができるのではないでしょうか。少なくとも「死」はヴィトゲンシュタインが、

死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない(『論理哲学論考』)

と言っているように誰にも直接的に経験できるようなものではありませんから、そのわからない領域に積極的な意味をもたせることが可能になります。だから自殺しようとする本人にとっては確信的な行為であるし、また誰にもそれを否定することもできません。

カントが『実践理性批判』において、「幸福」を

各自が自分の幸福をどこに求めるかということに、その都度めいめいの心に喚起される快・不快の感情次第で決まるのである。

また、

主観的には必然的な法則(自然法則としての)も、客観的には極めて偶然的な実践的原理であり、この原理は、主観に異なるにつれて、それぞれははなはだ異なることがあり得るし、また異らざるを得ない

と述べているように、「幸福」は人それぞれによってかわるだけでなく、本人には確信的です。ここでは「絶望」の回復を来世に求めることによって「幸福」の可能性を見出してしまいます。*2

「絶望」に際して「死」が結末であるのに対し「希望」に際して「死」は手段であって通過点にすぎません。ここに「片思い」が自殺に至る、

  • 今に絶望して、来世を信じて死ぬ

があるように思います。

*1:ただ吉本は小林のこの引用を一番つまらない短章を取り上げて、文芸的な解釈を示しただけだ、と言っている。

*2:ただし、カントは自殺を否定している。

二次被害を防ぐために「拡散」しないことはできないだろうか。

三鷹女子高生刺殺事件、被害者の画像/動画のネット拡散、どう考える?(The Huffington Post)

この事件から考えなければいけないことはたくさんあるのではないかと思うのですが、ここでは、被害者のプライバシーに関わる情報が「拡散」されることによる二次被害を防ぐことはできないだろうか、ということを考えたいと思います。

他人によって晒されるプライバシー

以前、

Twitter上に「わいせつ画像」を掲載することは、違法じゃないの?

で、Twitterにおいて自ら「わいせつ画像」を掲載することの違法性について書きましたが、今回の場合は「自分」ではなく加害者によって被害者の画像が投稿されたとされ、被害者のプライバシーが「拡散」されています。

特に、今回は被害者の動画や画像がアダルト投稿サイトで投稿されるといったことでさらに二次被害が生じているように思います。

冒頭のリンク先の記事の中に、

 アメリカ・カリフォルニア州では、別れた交際相手のポルノ画像/動画を嫌がらせに公開する、「リベンジ・ポルノ」が問題化。法規制する動きもある。

とあるように、プライバシーを知っていた人によって、プライバシーが公開されてしまうケースがあります。今回の事件もそのひとつと考えられます。

被害者本人ではどうしようもできない可能性が高い

そこで、まず考えられることは、

  • ネット上にプライバシーの情報が投稿されないためにどうすればよいか

ですが、今回のようなケースの場合、被害者本人だけでは防ぎようのない可能性が高いように思います。

当然、プライバシーに関する情報を、恋人だろうが誰だろうが「残さない」ように努力することはできます。しかし深い関係になればなるほど情報はお互い伝えあってしまうこともあります。まして男女関係は別れることを前提にしない場合が多いように思うので、単に個人の努力だけでは完全に「残さない」ことは難しいように思います。

そして、例え、別れることになったとしても相手にプライバシーを公開しないように努力し合うことはできますが、感情的で理性的な判断ができない状況に問題は生じるだろうことを考えると、そういったことはあまり意味がないように思います。

したがって、

  • ネット上にプライバシーの情報が投稿された場合「拡散」されないためにはどうすればいいか

を考えなければいけないように思います。

ネット上に情報は「残る」

一度ネット上に情報が載ると、その情報を消すことは容易ではありません。

ネット上ではたくさんの情報で溢れており、話題にならない限り、ひとつひとつの情報に関してほとんど誰も見向きもしませんが、一度話題になると芋づる式にあらゆる情報があばかれ、多くの人にさらされてしまうことになります。

例えば、Twitterで問題が生じる可能性のある投稿をし、話題になり、すぐに消したとしても、それを不特定多数の人にコピーされてしまうと、知らない誰かが再掲載することができてしまいます。次から次へと情報が「拡散」され、情報がまとめられていきます。こうなってしまうと完全に情報を消すことは不可能です。

このように、ネット上における情報は「残る」ということを前提にしなければいけません。

プライバシーに関する情報を「拡散」しないようにするためにはどうすればいいか

どうしても残ってしまう情報ですが、引っ越しをするなどして生活空間を一新するように、プライバシーの情報をできる限り人目につかないようにすることはできないでしょうか。

そこで、二つの解決策を考えました。

プライバシーに関する情報の投稿と拡散の罰則化

まず、ネットユーザーが「拡散」しないように努める、が考えられますが、エロ、グロ、ナンセンス、人の不幸といった話題は、よく「拡散」されているように思います。

ネットは公衆の場ではありますが、同時に極めて私的な場でもあるように思います。そのような「自由」な空間ですべての人間が「拡散」しないように努めることは不可能ではないかと思います。

そのため「自由」を制限し、今後、他人のプライバシーに関する情報を投稿した場合や「拡散」した場合、罰則化を設けることは効果があるのではないかと思います。

情報のハブとなっている場において、プライバシーに関する情報を載らないようにする

次に、プライバシーの情報を「拡散」しないためには、情報のハブとなっている場において情報が載らないようにすることが有効ではないかと思います。

ポータルサイトやまとめサイトといったところでプライバシーの情報が載らないようになれば、情報がネットユーザーに「拡散」していくことを防ぐことができます。

当然、どこまでがプライバシーに関する情報なのか、は重要になっていきますが、話題にならなければ情報がネット上にあったとしても被害は最小限になるかと思います。

そして、プライバシーに関する情報が話題になるところがどこかといえば、多くのネットユーザーが集まるようなプラットフォームではないかと思うのです。

大学入試で「経済学」―労働は美徳ではない。あるのは「差異」のみ―

大学入試の現代文は教養の宝庫。

そろそろ受験生は大学入試に向けてラストスパートをかける時期になってきました。少し受験生の勉強をみる機会があったので、5、6年ぶりに大学入試の過去問をみてみると、これがなかなかおもしろい。

ただ大学入試は社会人はもとより学生にとっても合格してしまうとそれっきりではないかと思います。おそらく学校の先生だとか塾講師にならない限り縁のないものになるでしょう。

しかしこれはもったいない。大学入試には大学から高校生に向けて「大学に入る前にこれくらいは知っておいてほしい、考える力をもっていてほしい」という気持ちが溢れているので、学問における「教養」の部分を有名な作家、評論家、先生方の名著が中心に出題しているというわけです。

難しくて、長い学問的な話は嫌だ。でも少しは教養を深めておきたい。そんな方に大学入試はもってこいですね。高校生でもわかる短い文章で、有名な人々の重要な話を読むことができちゃうわけです。

では実際に読んでみます。

センター試験過去問研究 国語 (2014年版 センター赤本シリーズ)

センター試験過去問研究 国語 (2014年版 センター赤本シリーズ)

 

 センター試験過去問であれば、1000円以内で買えてしまうので、とてもリーズナブルです。

今回は「2010年度/本試*1/第1問」から岩井克人先生の『資本主義と『人間』』を読んでみましょう。

「経済学」はヴェニスの商人を抹殺することから始まった。

岩井先生によれば、ヴェニスの商人は「商業資本主義」の体現者であります。

ヴェニスの商人が体現している商業資本主義とは、地理的にはなれた二つの国のあいだの価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法である。

岩井先生はシェイクスピアの「ヴェニスの商人」を引き合いに出しながら説明しているのですが、ここで言いたいことは要するに「安く買える国で商品を買って、高く売れる国で商品を売れば儲けることができる」です。

しかし、このことを抹殺することから経済学が始まったというのです。

アダム・スミスの言葉をもとに次のように述べています。

スミスは、一国の富の真の創造者を、遠隔地との価格の差異を媒介して利潤をかせぐ商業資本的活動にではなく、勃興しつつある産業資本主義のもとで汗水たらして労働する人間に見いだしたのである。

これまでは、ヴェニスの商人のように差額で利益を得ていたけれど、スミスは、利益の源を「人間の労働」に見いだします。

岩井先生はこれを「産業資本主義」と言っています。

ここまでをまとめると、

  • 「商業資本主義」は国家間の価格の差異によって利潤を生み出す。
  • 「産業資本主義」は人間の労働によって利潤を生み出す。
  • 経済学は「商業資本主義」を否定することから始まり、「産業資本主義」を中心に展開された。

マルクスらは労働価値説を定説化するが、しかし・・・。

経済学の中心は「人間の労働」でした。マルクスらに関して、

労働者が生産するこの余剰価値―それが、かれらが見いだした産業資本主義における利潤の源泉なのであった。

と書いてあるように、利潤は資本家によって搾取されてしまうものの源泉は常に「人間」にありました。

しかし、ここに落とし穴があったというのが重要なポイント。

産業資本主義―それも、実は、ひとつの遠隔地貿易によって成立している経済機構であったのである。

つまり、「産業資本主義」も実は「商業資本主義」同様に価格の差異によって利潤を生みだしていたというのです。詳しく見ていきましょう。

産業資本主義の時代は、農村において過剰な人口が存在したことによって、都市の工場労働者の生産性が上昇しても彼らが受け取る賃金を低く抑えることができました。

それゆえ、都市の産業資本家は、都市にいながらにして、あたかも遠隔地交易に従事している商業資本家のように、労働生産性実質賃金率という二つの異なった価値体系の差異を媒介できるようになる。

 利潤は「差異」によって生まれることは「産業資本主義」においても同じなのでした。

ただ、どうして「人間の労働」を源泉と見誤ってしまったのかというと、その「差異」があまりにも安定していたことにあります。

つまり、農村における過剰な人口が膨大すぎて、常に都市部に供給し続けることができたということです。これによって、多くの人が錯覚をおこしてしまいました。

ここまで、まとめてみると、

  • 実は「産業資本主義」は国内の農村、都市間の差異で利潤を生み出すものだった。
  • 農村の過剰人口によって常に都市へ人口が供給されたため、差異が安定してしまった。
  • そのため、多くの人が「人間の労働」が利益の源泉だと勘違いした。

ヴェニスの商人」はどうなったのか。「産業資本主義」の時代のその後。

岩井先生によれば、現在は「ポスト産業資本主義」の時代だそうです。

技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態であるという。

 これは、機械製品や化学製品といったものではなくて、物理的にないようなものを商品として扱うということです。なぜそういうことになったかというと、

 あたえられた差異を媒介するのではなく、媒介すべき差異を意志的に創りだしていかなければ利潤が生み出せなくなってきたのである。

 とあるように、いまや「ある」差異ではなく、「つくる」差異で儲けなければならないようです。

 最後にこれまでの内容をまとめると、

  • 「商業資本主義」は国家間の価格の差異によって利潤を生み出す。
  • 「産業資本主義」は国内の農村、都市間の差異で利潤を生み出す。
  • 「ポスト産業資本主義」は情報そのものを商品として扱い、差異をつくることによって利潤を生み出す。

働くことは美徳のように言われますが、そこにあるのはただ「差異」のみであると言うことができるのではないかと思います。

 

*1:センター試験には、本試と追試のふたつがあります。